Mio treno - A che ora parte il prossimo treno?-

自分の持っている鉄道模型や大好きな近鉄を中心として話題展開しているブログです。

3月6日~祝~河内国分 急行停車15周年!!~

近鉄大阪線、河内国分駅。我が故郷の中規模の2面4線駅だ。近鉄電車の普通、区間準急、準急、急行が停車し、特に、急行とその他の列車との緩急接続が行われる。



今年の近鉄のダイヤ改正では大和朝倉、長谷寺に急行が停車となるが、15年前、2003年3月6日、この我が故郷の駅、河内国分に急行が停車するようになった。ホーム有効長が6両のため、8~10両でラッシュ時に運行される快速急行(その当時は区間快速という区分が存在)は通過。朝のラッシュ時と夜の17時以降は急行が区快や快急に格上げされるため、通過する列車を恨めしく、眺めたものだ。現在は近鉄の方針も変わったようで、急行が増え、朝のラッシュ時は快速急行が通過するものの、早朝や、夜間の上り、20時以降の下りに急行が運転され、河内国分に停車。狭いホームに堂々と上り、下りを合わせると緩急接続する4本の列車が並んでいる姿も見られる。


もともと、この駅は準急がとまり、急行は通過。地元の人にとって急行の停車は念願だったそうだ。近くに大阪教育大学ができ、関西福祉科学大学もあることから、学生の利便性も考え、その当時の市長が粘り強く近鉄と交渉を繰り返し、この駅に急行停車となったようだ。



当時は急行停車に関して賛否両論があったようだが、この駅から五位堂までの区間で住宅地開発が目覚ましく、いち早く大阪方面へ行ける電車に乗り換える駅が必要になったことは一目瞭然。そのちょうどよい距離に存在し、白羽の矢が立ったのがたのが我が駅のようだ。


急行停車の当日には、大きなセレモニーもあったようだ。僕がこの町に引っ越したのは、2005年。だから、急行停車開始当日の様子はわからない。でも、もし、その時にこの地域に住んでいたら、間違いなく、セレモニーに出席していただろう。



今では当たり前になった、河内国分急行停車。地元の人ですら、今年が15周年だということも忘れてしまっているだろう。だから、僕は一人でつぶやく、「急行停車15周年、おめでとう!



春の午後の日差しの中、普通と急行の緩急接続が行われる。この街は学生の街。今は卒業シーズン、新しい未来を夢見る多くの学生をこの駅は見送る。もうすぐ、桜の季節。希望を胸にした多くの新入生を迎える。